沢あそび
裏山で沢ガ二やヤゴなどと出会い、
「沢」を楽しむ。
泥んこあそび
グランドや園庭に大きな水たまりを作り、泥の感触などを楽しむ。
田んぼ
あぜ歩き、草花摘みを楽しむ。電車も見られるみんなが大好きな散歩コース。
園庭で落ち葉を楽しむ。
園の畑で、四季折々の野菜を育てます。
落ち葉や雑草に土・糠・水を加えての堆肥を作り、
生ゴミ処理機でできた土や畑の土と混ぜて、一から土作りをします。
土をよくするためには“畑の働き者”であるミミズが大切な仲間です。
育てたお米や野菜は、子どもたちが収穫します。
給食の野菜の切れはしなどで、5歳児が毎日交代で、うさぎの食事の世話をする。包丁の使い方を伝えたり、野菜の名前当てなどをしながら、
職員が1対1でじっくりと関わる大切なひととき。
子どもも職員もほっこりできる時間。
自然にうまれる大きい子と小さい子の触れ合い。
大きい子が小さい子の手をつなぎ、一緒にさんぽを楽しむ。
ひざの上に座って絵本の世界を楽しみます。
1対1の絵本の読み語りを大切にしている。
以上児わらべうた
3歳児~5歳児がホールに集まって楽しむ。
各クラスでわらべうたを楽しみ、毎月の誕生会では、クラスごとにわらべうたを披露して祝う。
山あそび
梶原ピッコロ保育園の背後にそびえる梶原山は、市街地の間近にありながらも皮肉なことに麓を走る名神自動車道が障壁となって、造成・植林等の開発の影響が少なく雑木林に色濃く覆われた山容は多様な自然環境を残しています。
丹波帯と呼ばれる地層帯の境界にあって特有の構造を持つ梶原山には、管理された森林公園等にはない趣があります。
梶原山は、太平洋の彼方の深海から地殻変動によって運ばれてきたチャート(古生代ペルム期)や海底火山の産物である玄武岩、少し浅い海に沈殿してできた泥岩(頁岩)、遠浅の海に堆積してできた砂岩や河口や湖沼に堆積してできた礫岩などが複雑に入り混じって成り立ち、その上を風化砂岩の赤土と樹木の腐葉土が層状になった土が薄く覆っています。
淀川を隔てた石清水八幡宮の山までがこの丹波帯に属し、下流の枚方丘陵から南側は花崗岩を主体とした岩石帯となります。その境界を流れる淀川の流れとその三川合流やその奥の京都盆地、下流に広がる大阪平野さらには大阪湾を見渡す眺望は北摂随一を誇る梶原山の絶景であり、山の稜線に続く古道の名「太閤道」が示すように、古来から要衝の地として歴史に刻まれた山であります。
今年度の“やまぐみ”は昨年の秋以降、今春の卒園までに30回の山あそびを目標にして山登りにチャレンジして来ました。
“やまぐみ”の子どもたちは“そらぐみ”や“かぜぐみ”と合同で登る以外にも、ピッコロ保育園で鍛えた脚力と持久力を発揮して、お昼ご飯のあとに梶原山の山頂まで駆け足で登り、子どもたちが「秘密基地」と称する雑木林の中での楽しいあそびを繰り広げてきました。
“やまぐみ”の子どもたちだけで梶原山に入るときは、大人の引率は2名きりです。名神自動車道のガードを通り抜けるまでは二人組で手を繋いで歩きますが、通称三叉路に到着してお山に挨拶を済ませてから次の通称一軒家までは、二手に分かれて好きな方の道を駆けて行きます。途中フユイチゴやシャノヒゲの実・チャノキの実・ヒノキの実・イバラの実などを採集して歩きます。ヘビやサワガニも見られます。以前モリアオガエルにも出会いました。
一軒家への曲がりくねった急坂の林道の脇の杉林の足元にはヤブコウジやツルアリドオシの赤く美しい実があります。またここにもフユイチゴの群生(春にはクサイチゴも)がありナワシログミもあり、カーブの先にはヤブニッケイの幼木があって子どもたちは自ら若葉を口に含んでニッキの清々しい味を楽しみます。
一軒家から山頂へ向かう山道は竹林の中となり、林道から外れて人一人が歩くのがやっとの細道となります。ここからいよいよ森に棲む動物たちの生活痕が色濃くなってきます。
竹林の細道に入ると自動車への警戒は不要になりますので、子どもを先頭に立てて歩かせます。道は途中で険しい断崖となりますが、“やまぐみ”ともなるとそこもひらりと身をかわして速度を落とさずにどんどん進みます。やがて竹林を抜けて登攀道が始まる手前のアベマキとコナラの樹の間で先に着いた子は座って後続を待つことになっています。
ここから先の登攀道は文字通り手足を使って登らなければならないほどきつい勾配となります。晩秋以降は降り積もったコナラやアベマキの落ち葉で大変滑りやすくなっています。下山の時にはこの落ち葉のバーンをボブスレーのように連なってお尻で滑り降りていく子どもたちです。登攀道の足元にはドングリが転がり得体の知れないキノコが生え、頭上にはシャシャンボのブルーベーリーが実っています。秋は紅葉が美しく春が近づくとヒサカキの何とも言えない花の香りが立ちこめる中を一気に鉄塔広場まで登りきってしまいます。
鉄塔広場から上の階段までは、なだらかな雑木の並木道となります。約100mのほぼ真っ直ぐな道を風のように駆け抜けていく子どもたちですが、保育者が観察眼を持って見ればアケビやムカゴ、クリスマスリースにぴったりの蔓、野生動物の糞や鹿の食痕、イノシシの足跡などのフィールドサインを発見し子どもたちに提示することができる場所です。
上の階段を上り風化砂岩が雨水に浸食されて出来た急勾配の切通しを通り抜け、ようやく尾根筋の木立が見えてくるといよいよ見晴台、実質の山頂です。
ここまで35分間!300mの高低差を息つく間もなく“やまぐみ”の子どもたちは登りきります。
見晴台から奥の森に入ると稜線の南側には実に無造作に様々な木々が自生しているのに驚きます。コナラやアベマキ、ヤマモモ、ソヨゴなどの大木が空を覆いつくすように茂っています。梶原山の稜線の北側は杉が植林されていて趣も異なりますが、生物の多様性ということなら断然南側の斜面に広がる雑木林が優れています。
森では大人の案内がいらないほど逞しい“やまぐみ”の子どもたちは、野ウサギの如く分け入って秘密基地を目指します。「秘密基地」は形あるものを指すことばではなく、“やまぐみ”の子どもたちが樹木や枯れ枝を使ってさまざまな遊びの仕掛けを作っているフィールドを指す暗号のようなものです。
そこには見張り台があり、住居があり、海賊船がり、ブランコがあり、それらが絶えずグレードアップしていく想像と創造の空間です。ここで過ごす“やまぐみ”の子どもたちは、時間の経つのも忘れて自分たちの世界に没頭しています。
この雑木林にも鹿の食痕や角研ぎ跡・イノシシのマーキングやフンなどが散在し、雑木林の奥の子どもの背丈より高いササが生い茂るブッシュには縦横にケモノミチが走っています。
ここに「探検」と称して分け入りどんどん奥を目指す時、子どもの顔つきはいたずらっぽく笑いながらも目は真剣です。ケモノミチを辿り食痕を見つけまだ真新しいフンを見つけたときには野生動物が茂みの中からこちらを見つめているような身震いする興奮を覚えました。
前園長 堀内幸弘 記 ピッコロだより 2012年3月16日号 「森のほいくえん」その2より抜粋
木々との関わり
冬でもなお保育園の木々に登ってあそぶ子どもたちの素敵な姿が見られます。
子どもたちの活発で勇敢な様子に嬉しい反面、危険も伴い、また木という生き物を使ってあそばせる罪悪感のようなものがどうしてもついてまわります。
今日も1本キンンモクセイの枝が折れてしまいました。
子どもたちがする木に抱きついたりしがみついたりよじ登ったりぶら下がったりするあそびを、どのように捉えれば、私たち大人はストレスなく自信をもって子どもたちに提供してやれるのだろうかと考えてみました。
幼い子どもたちの感性が木を無機的な物体として捉えるのか、それとも有機的な生物として捉えるのか、あまり日常の生活には関係がなさそうなこの違いが、その子の人生に、そして将来の地球環境に何らかの影響を与えるとしたらどうしましょう?
木を無意識に眺めているだけでは子どもにとって木はモノでしかありません。
しかし四季のうつろいの中で変化していく木々の景色、花や実、音や動きに興味を持って観察をすれば木は生き物だと気付くことができます。
そして例えば猫好きが猫を飼えばもっと猫好きになってしまうように、子どもたちは木とかかわることで、もっともっと木という生き物が好きになることが出来るはずです。
木とかかわりを深めるためには、生きている木と触れ合うということは欠かせません。
自分の身体を使って、手触りや匂いや温もり硬さや柔らかさ質感・量感を感じることによって、木という生き物を理解することができるのだと思います。
さらに木と一緒に楽しくあそぶことによって、子どもは木が好きと思うようになるのではないでしょうか。
ピッコロは園庭やグランドに沢山の木々を植栽しています。
どれも花や紅葉が美しく、またその実を分けてくれる木々たちです。
その木々たちに子どもたちは年齢に応じて自らかかわろうとしています。
木に抱きついたりしがみついたり、さらに高みを目指して登ってみたり、実りをこっそりいただいたり、子どもたちは大人に教わるまでもなく、木々との楽しい関係を作り上げているようです。
もちろんこれは一方的な関わりであって、実際に子どもたちに関わられた木には多かれ少なかれダメージがあるのは事実です。
そこでダメージを恐れて、木には触れないというシバリをかけて木を守ろうとするのが、大人の常であり大人の思考の限界でした。
しかしながら木を大切にするがために、木と接触しない子どもこそが自然に優しいという評価をもらうというのは大変疑問に思います。
目の前にあるその木も勿論大切です。
しかしもっと視野を広くして、木が好きと思える子に育てるために、「保育園で植栽している木々には少しばかり頑張ってもらおう」と腹をくくって、保育園での木々との楽しい関わりを子どもたちに保障してやるというのはいかがでしょうか。
日本の森林の多くは今や人の手入れがなくしては存在できません。
日々の保育の中で様々なリスクはあるかもしれませんが、木という生き物が好きになれる機会を幼い時期になるだけ多く持たせてやって、木や森や自然を大切に思える感性を育て、自然環境の保全に関心と理解のある生き方に導いてやりたいと思います。
保育園の場合は‐---‐
○園庭のイチョウは中程まで ○モミジは梯子の先まで ○アベマキは抱きつく程度
★カキノキはサクくて樹皮が痛いので木登りには不向きでしょう
ケヤキは子どもには登るのはちょっと無理でしょうね。
○グランドのモモはそこそこ登っても大丈夫
○二本のサクラはしがみつく、ぶら下がる、座るは大丈夫 ※ただし人数制限のこと!
○キンモクセイは株の中をよじ登るのはOKだけどぶら下がりはダメです
☆道路側の4本の樫の木たちはもう少し育てば登れるようになります
前園長 堀内幸弘 記 ピッコロだより 2010年3月25日号より抜粋
和凧づくり
一月に入ると4・5歳児の子どもたちは凧作りをはじめます。
お店に行くとビニール製の凧は手軽に手に入りますが、当園では和紙(凧紙)と竹ひごを使い昔ながらの伝統的な和凧作りに取り組んでいます。
和紙の表・裏を指で触って確認し、それぞれが思い思いの絵を描きます。
横骨になる竹ひごは手の温もりで少しずつ曲げていき、凧の本体へ貼り付けます。子どもたちが竹ひごの側面の2ミリ程しかないところにボンドをそっと付けていく姿は何とも言えずかわいいものです。
凧の四隅と竹ひごの交差するところに強度を増すための四角く切った凧紙を当て、最後にバランスをとる為の脚(あし)付けると完成です。
完成した凧は、淀川の堤防まで出かけて揚げます。よい風が吹いている時は、走り回ることなくじっと立っていて、時々糸をクイッと引いて凧を安定させると空高く揚がります。
破れれば和紙を貼り付け修理をして繰り返して揚げることができます。
鬼面づくり
一月中旬頃から“はりこ”の鬼面づくりに取り組みます。
4歳児は、二人一組で風船はりこをつくります。まずちぎった新聞紙を水で濡らし風船をすっぽり包むように貼り、次に糊を水で少し薄めたものをつけた新聞紙を重ねていき、更に和紙を貼り重ねていきます。土台ができると2つに切り分け、円すい状の角を好きな数だけ貼り付け、色を塗って完成です。なかなか根気のいる作業ですが、完成を楽しみに友だちと力を合わせて頑張る姿に成長を感じます。
5歳児は、土台となる鬼面の型を粘土でつくり、同じ手順で新聞紙や和紙を貼り付けていきます。和紙が張り終わり、土台の粘土を外すと「すご~い!!」と歓声が上がることもあり、子どもたちには感動の瞬間です。
節分には、長い時間かけて完成させたお面を着けて4・5歳児が鬼役になって盛り上げてくれます。お面は持ち帰ってからも豆まきの時に大活躍しているようです。
ポシェットづくり
5歳児は4月にクラスがスタートしてからヨモギ・藍・洋種ヤマゴボウ・くちなし・ドングリ・クサギ・マリーゴールドなどの草花や、紅茶・ターメリックを使って毛糸の染色を行い、毛糸を作りためています。
2月に入ると、(2月末か)3月上旬に5歳児だけで出かける“お別れ遠足”に持って行くためにポシェットづくりがはじまります。
厚紙で台紙をつくり、縦糸に凧糸(料理用の太糸)をかけたものを使って子どもたちが思い思いの色を選びながら編み進めます。失敗を繰り返しながらの作業です。
自分たちの染めた毛糸を「次はどの色にしようかな」と考えながら選び取って出来上がる組み合わせは、どれを見ても素晴らしく美しい模様となります。化学染料では出せない、それぞれの色の温かみが成せる技でしょう。
ポシェットづくりがはじまると、担任だけではなく他の職員も手伝いにきます。普段関わりの少ない職員とも密に関わるので、年度の最後にまた一つ思い出が増えると言う訳です。
一針一針に、一つ一つの色に、一年間の思い出・ピッコロの思い出を編み込んでいるのでしょうか。
『わらべうたがなぜ子どもによいか』
・その土地の風土、生活、習慣などを土壌として歌いつがれてきた子どもの文化遺産である。
・人々が自然とともに自然とともにあった豊かな生活文化や、子どもの遊びの文化が歌われている。
・四季折々の自然や行事、天体事象、動植物への興味を育てる。
・肉声のよるふれあいをとおして、楽しさや喜びを共有する。(満足感、信頼感)
・楽しんで歌うなかで言葉が育ち、感受性や音楽性が養われる。
・子どものなじみやす歌のかたちになっている(音域に無理がなく、心臓の鼓動音にあったリズム)
・歌や遊びをとおして、人と人との関係をむすび広げてくれる。(社会性、コミュニケーション能力)
・子育ての知恵、伝承的な行事や遊びの伝承機能をもっている。